学校ニュース

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吹上小学校150周年特集 NO.17 児童出席統計表(綴)

 児童の出欠統計を残すことは、令和5年度の現在でも実施しています。この出席統計は明治時代の吹上尋常高等小学校でも行われていました。今回はその中で最も古い明治37年度の「月末統計表綴」を発見したので、第2次世界大戦中の昭和16年度以降の吹上村第一國民学校時代の統計表も合わせてご紹介いたします。

  

 明治37年度の文書ですが、保存状態はきわめて良好でした。明治37年度では尋常小学校は4年生までであることがわかります。児童数は尋常科346名でした。高等小学校も4年生までありました。高等科の児童数は217名でした。

   

 吹上村第一國民学校となった昭和16年度の「児童出席月末統計表」から、義務教育の年数が8年に延びたことがうかがえます。初等科(6年制)で児童数704名、高等科(2年制)で320名、合計1024名のマンモス校であったことがわかります。

 

吹上小学校150周年特集 NO.16 吹上小の原点 明善舎

 吹上小学校は本年度で150周年を迎えます。その原点は伊吹山善応寺を校舎とした明善舎が明治6年に開校したことに始まります。当時の児童数は約60名でした。現在、善応寺には住職さんはいませんが、本堂は今でも存在しています。

  

現在の善応寺の本堂          善応寺すぐ下の建物 このあたりが学舎だったらしい

   

   善応寺にある案内板      吹上かるたの読み札

案内板から伊吹山は小倉百人一首の51番目藤原実方朝臣の歌に盛り込まれていることがわかります。

 「かくとだに えやはいぶきの さしも草 さしも知らじな もゆる思ひを」

さしも草は、昭和36年に栃木市の天然記念物に第1号で指定されています。また、吹上かるたの「さ」で使われています。吹上小学校の発祥の地は平安時代から有名な場所に存在していたのです。

※小倉百人一首の解説本によっては、伊吹山は関西地方とするものもあります。

 

教職員研修

 夏休みに入り個人面談の期間が終わり、今週は数多くの教職員研修が行われました。吹上小中合同研修会、道徳に関する研修、出張報告による伝達研修、吹上地区の文化財・歴史に関する研修、特別支援教育に関する研修、学力向上研修、情報教育研修等がありました。今回はこのうち3つの研修についてその様子を紹介いたします。

 

特別支援研修 学校スクールカウンセラーの先生から、「発達障害と不登校」に関する講話がありました。

 

学力向上研修 とちぎっ子学習状況調査や全国学力・学習状況調査の結果分析をして、そこから児童の学力を向上されるための手立てなどを出し合いました。

 

情報教育研修 タブレット端末を使い、児童に課題を配付する方法やプログラミングソフトを使う方法について、実際に操作することで技能を高めました。これらの研修成果を2学期からの児童への指導に活用していきたいと思います。

 

吹上小学校150周年特集 NO.15 明治時代の吹上小学校

 この特集のNO.7で明治42年度の卒業記念写真を掲載しました。今回は明治42年度の学校日誌の実物を発見できたので紹介いたします。学校日誌は永久保存の印がありました。学校に保存されているものの中では最古のものでした。

   

吹上小学校の歩み(年表)によると、明治39年に尋常科6年、高等科2年になりました。明治42年の日誌は、その3年後になります。日誌の7月31日のページを見てわかることを記述していきます。

①当時は8月1日から夏休みになったと考えられます。(次のページが9月1日になっている)

②当時の児童数は629人でした。(令和5年度児童数292人)

③気温が摂氏ではなく華氏90度と記入されています。摂氏に換算すると約32度になります。

 

吹上小学校150周年特集 NO.14 固定遊戯施設の今昔

現在吹上小学校には、平均台、登り棒、ジャングルジムなどの固定遊戯施設があります。

  

休み時間に児童たちが遊びに使っています。体育の授業でも固定施設を使った体つくりの運動で使われています。平成3年度撮影の航空写真をよく見ると、現在いとひば学童の建物があるところに、現在は存在しない遊戯施設があることが確認できました。その遊戯施設を建設したときの工事設計図を発見しましたので紹介いたします。

 

トリム遊具・ターザンロープ・障害渡りがありました。平成2年10月に完成しました。お父さんやお母さんのなかには、遊んだことのある人もいるのではないでしょうか。