学校ニュース

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写真で振りかえる昔の西方小学校 NO.19

 西方小学校は昭和16年に西方村国民学校と名称を変えました。戦時皇国民の錬成ということが目的でしたが、義務教育が8年に延びました。栃木県の文書館の資料から国民学校の始まりを紹介します。

     

 最初の写真は国民学校に名称を変更せよという栃木県からの通達です。この頃は教育委員会制度はなかったので栃木県学務部から出されています。2枚目はこの通達を受けて、西方村役場が名称変更を願い出たものです。(昭和16年4月)

   

 西方村国民学校の名称が実際に使われていたことが分かります。この文書は西方村青年団の体育運動会を昭和17年9月27日に西方村国民学校の校庭で行う旨が書かれた通知です。昭和17年の段階では体育運動会が開催できていたことが分かります。この次№20では国民学校の時代の学童疎開について紹介する予定です。

 

 

2学期が始まりました

子どもたちの元気な声が、学校に戻ってきました。

いよいよ今日から2学期が始まります。

2学期は各学年とも、たくさんの行事があります。目標をもち、計画的に生活を送ってもらいたいと思います。

始業式では、4名の児童が目標をしっかりと発表しました。

また、校長先生から防災の日に関連し、日頃から備えることの大切さについてお話がありました。

  

写真で振りかえる西方小学校 NO.18

 今回のテーマも前号と同じ西方小学校にある古いものです。今回は駐車場にある教材倉庫に行ってみました。教材倉庫の片付けが進み思ったほど古いものは発見されませんでした。数少ない古い考えられるものを2点紹介します。

  

 羽釜と石臼です。どちらも年代がわかりません。羽釜は西方小学校の刻印がありますが學になっていました。石臼の方は手がかりがありません。せっかく残された古いものなので、3年生の社会科で、 

「生活の道具などの時期による違いに着目して、市や人々の生活の様子を捉え、それらの変化を考え、表現すること。」の学習の時に教室に運んで使用したいと思います。

 

 

 

 

写真で振りかえる西方小学校 NO.17

 今回のテーマもNO.16と同じ西方小学校に残された古いものです。今回は図工室に行ってみました。図工準備室に、焼き物粘土を保管する瓶がありました。購入は昭和48年で、現在の校舎が建てられる前にすでに西方小学校にあったことになります。

   

 当時の図工の学習内容を調べてみると、5年生の工作の中に「粘土で器物などを成形し,必要に応じて,焼成のしかたを理解したり,つくったりすること。」とありました。現在は処分してしまいましたが数年前までは手回し式のロクロもありました。現在の図工の内容にはない、陶器の焼き物を授業で行っていたと思われます。

写真で振りかえる昔の西方小学校 NO.16

 今回のテーマは校舎内に残る古いものです。理科準備室に行ってみました。なんと昭和29年度(68年前)購入の生物解剖標本がありました。

 

 昭和33年度版の学習指導要領を見ると、小学校版では、魚のうきぶくろなどの内部のつくりを観察するという記述があります。中学校版では、カエルを解剖して,おもな内臓を知るという記述があります。この当時は魚やカエルの解剖は授業の中で行われていたと想像できます。

  ところで購入代金が2500円と書かれています。昭和29年当時ラーメン1杯35円というデータがあり、現在のラーメン1杯700円と仮定すると20倍物価があがっているので、当時の2500円は現在の50000円相当とみることができます。