学校ニュース

2022年8月の記事一覧

写真で振りかえる西方小学校 NO.18

 今回のテーマも前号と同じ西方小学校にある古いものです。今回は駐車場にある教材倉庫に行ってみました。教材倉庫の片付けが進み思ったほど古いものは発見されませんでした。数少ない古い考えられるものを2点紹介します。

  

 羽釜と石臼です。どちらも年代がわかりません。羽釜は西方小学校の刻印がありますが學になっていました。石臼の方は手がかりがありません。せっかく残された古いものなので、3年生の社会科で、 

「生活の道具などの時期による違いに着目して、市や人々の生活の様子を捉え、それらの変化を考え、表現すること。」の学習の時に教室に運んで使用したいと思います。

 

 

 

 

写真で振りかえる西方小学校 NO.17

 今回のテーマもNO.16と同じ西方小学校に残された古いものです。今回は図工室に行ってみました。図工準備室に、焼き物粘土を保管する瓶がありました。購入は昭和48年で、現在の校舎が建てられる前にすでに西方小学校にあったことになります。

   

 当時の図工の学習内容を調べてみると、5年生の工作の中に「粘土で器物などを成形し,必要に応じて,焼成のしかたを理解したり,つくったりすること。」とありました。現在は処分してしまいましたが数年前までは手回し式のロクロもありました。現在の図工の内容にはない、陶器の焼き物を授業で行っていたと思われます。

写真で振りかえる昔の西方小学校 NO.16

 今回のテーマは校舎内に残る古いものです。理科準備室に行ってみました。なんと昭和29年度(68年前)購入の生物解剖標本がありました。

 

 昭和33年度版の学習指導要領を見ると、小学校版では、魚のうきぶくろなどの内部のつくりを観察するという記述があります。中学校版では、カエルを解剖して,おもな内臓を知るという記述があります。この当時は魚やカエルの解剖は授業の中で行われていたと想像できます。

  ところで購入代金が2500円と書かれています。昭和29年当時ラーメン1杯35円というデータがあり、現在のラーメン1杯700円と仮定すると20倍物価があがっているので、当時の2500円は現在の50000円相当とみることができます。

 

写真で振りかえる昔の西方小学校 NO.15

 昭和28年・29年度の写真が納められているアルバムが見つかりました。このアルバムには当時臨海学校で行っていた磯浜海岸での様子が写っている写真が多数ありました。このうち3枚ほど紹介いたします。

  

  

 いわゆる雑魚寝の状態で休んでいますが、砂浜活動をしたり、水族館見学にも行ったりしていたようです。現在西方小学校では5年生がとちぎ海浜自然の家に行っています。海浜自然の家の寝室と近くの大洗水族館の写真を載せてみます。

  

 それぞれのHPから引用しました。

 

 

 

写真で振りかえる昔の西方小学校 NO.14

 今回は西方小学校にある石碑がテーマです。西方小学校には石碑が4つあります。これらを作られた年代順に紹介していきます。

 校歌制定を記念して建てられた石碑(昭和41年度卒業生一同より寄贈)校長室前

  

    表面             裏面

 国歌石碑 (昭和43年度卒業生一同より寄贈 台座は昭和61年個人の方から寄贈)掲揚ポール近く

   

      表面           裏面

校舎新築記念石碑(昭和52年) 保健室前

 

  表面             裏面

 裏面を見ると、現在の校舎の総工費は、約2億4600万円であり、PTAなどから790余万円の寄附が寄せられたと刻まれています。

 体育館新築定礎(昭和57年)  体育館南側壁面

   

写真で振りかえる昔の西方小学校 NO.13

  今回のテーマは二宮尊徳像です。現在は昇降口前にあり児童の登校を見守っています。台座の裏側を見ると「校舎並びに講堂落成記念 昭和10年10月13日」と刻まれています。

 

 ところが、台座と像の間の一回り小さな石の裏側を見ると、「創立77周年記念 昭和25年8月1日」と刻まれているのです。この二宮尊徳像には謎が隠されているようです。昭和52年に現在の校舎が新築されるまで、この像は旧校舎の正面玄関にありました。

  

 ここからは、謎に迫る仮説です。西方小学校の二宮尊徳像は銅像です。昭和10年に建立されましたが、戦争が激しくなり金属は供出されてしまい石製の台座だけが残ったのではないか。戦争が終わり5年ほどたった昭和25年に銅像は再建されたのではないか。もし、この謎についてご存じの方は情報提供お願いします。

 

現存する写真で振りかえる昔の西方小学校 NO.12

 今回のテーマは校門です。現在西方小学校には正門と北門があります。まず正門から紹介します。

   

 最初の写真は現在の正門です。後側に建てられた年(明治43年)が刻まれています。西方小学校に残されたもので最古のものだと思います。2枚目の写真で校名表示の上を見ると穴があり校名表示が何度か替えられたことがわかります。3枚目の写真は昭和45年の離任式のものです。正門までお見送りをしたことがわかります。

北門を紹介いたします。

  

 最初の写真は昭和48年に撮影されたものです。2枚目は現在の北門です。裏側を見ると昭和○○年 男40名 女42名 卒業記念と刻まれています。○○年は判読不能でした。現在は本城・元の児童が北門から登校していますが、国道293号バイパスが開通し歩道橋が完成するまでは、金崎(栄町・上組)の児童もこの門を通っていました。

写真で振りかえる西方小学校 NO.11

 今回のテーマは航空写真です。この特集でも航空写真をいくつか紹介してきました。それをまとめて再度紹介いたします。中にはまだ未公開の写真もあります。古い順にあげていきます。

  昭和47年に撮影。

 昭和52年に撮影(校舎新築時)(校長室廊下に展示中)

 平成3撮影撮影(校舎増築時)(校長室廊下に展示中)

 平成21年撮影(改修工事完成時)耐震化・防水化

 平成28年撮影(現在一番新しい航空写真です)

 

 

 

 

写真で振りかえる西方小学校 NO.10

今回のテーマは卒業です。

       

 昭和45年ごろの卒業式の様子です。校庭で卒業証書の授与が行われていました。昭和50年ごろになると講堂で卒業式を行うようになりました。当時は4年生以上の児童が卒業式に参加しました。

     

 最初の卒業証書は明治9年の就将学舎(金井)のものです。(「西方町史」P325から引用掲載)2枚目の卒業証書は昭和50年(昭和49年度)のものです。第4196号と記載されています。卒業生名簿を見ると、令和3年度の卒業生で7249号までいきました。約50年でおよそ3000人卒業したことになります。

特別の教科「道徳」の研修

 8月3日の午後、白鷗大学の中山和彦先生をお招きして、特別の教科「道徳」に関する研修を行いました。昭和35年度から「道徳の時間」を中心とした道徳教育が始まり、年間35単位時間、およそ週1時間の道徳の授業が設けられました。平成30年からは特別の教科「道徳」となり文部科学省検定教科書も供給されることになりました。

 今回の研修テーマは「自分事」です。教科書には道徳的価値に迫るためのお話が掲載されています。このお話を国語の読み取りでなく児童の道徳性を高めるために、登場人物に自分を重ね、1時間を通して「自分事」として考えを深めるための方策を研修しました。