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2022年9月の記事一覧

修学旅行2日目

 修学旅行、無事終了しました。

 2日間みんなで協力し、様々な学び、思い出を得ることができました喜ぶ・デレ

 

・三崎公園

崖から突き出した「潮見台」から、太陽の光で輝く海を眺めました。

 

・環境水族館アクアマリンふくしま

班別行動で、昼食を食べたり、海の生き物を見学したりしました。

 

この思い出を胸に、6年生として、中学生に向けて、さらに成長していきたいと思います。

保護者のみなさまのおかげで、無事行って帰ってくることができました。本当にありがとうございました。

 

写真で振りかえる西方小学校 NO.27

 昇降口のところに、今までに表彰を受けたカップや盾が飾られているガラスケースがあります。中をよく見ると「栃木県よい歯の優良学校コンクール」関連のものがたくさんみつかりました。よい歯のコンクールは、県民に対する歯科保健の普及・啓発を目的として、栃木県・栃木県教育委員会・栃木県歯科医師会の共催で毎年実施されています。(令和2年度・令和3年度は新型コロナウイルス感染症のため中止)

 西方小学校は平成26年と平成30年に栃木県知事賞になっています。また平成27年と令和元年は栃木県議会議長賞になっています。県知事賞は最高の賞で県内小中各1校、議長賞は県知事賞に次ぐ賞で県内小中各2校が選ばれています。(令和元年度の小学校の部では179校が参加しました。)

  

数々の盾やカップ          全部出して並べてみました

  

県知事賞のカップ          議長賞の盾

  

 県知事賞の賞状          議長賞の賞状

このような賞を立て続けに受賞している理由を次回考察していきたいと思います。

 

修学旅行2日目朝

 

おはようございます晴れ

少し肌寒い朝を迎えました。

修学旅行2日目、みんな笑顔ですにっこり

 

昨日の夜は、部屋ごとに友達とかけがえのない時間を過ごしました。

 

いよいよいわき市へ出発です!

修学旅行1日目

 

修学旅行1日目は、秋晴れの空の下、様々な体験をしました笑う

 

・大内宿

江戸時代から残る街並みに感動しました。

 

 

 

 

 

 

・鶴ヶ城

天守の中は博物館になっていて、会津の歴史を学びました。

 

 

 

 

 

 

・日新館

赤べこの絵付け体験では、みんな素敵なオリジナル赤べこを作っていました。

 

 

 

 

 

座禅体験では、お坊さんの指導のもと修行の体験をさせていただきました。

 

 

 

 

 

 

明日は三崎公園とアクアマリンふくしまに行きます。

6年生の晴れパワーで、明日も全力で楽しみます晴れ

いよいよ修学旅行

まちにまった、修学旅行。心配された雨も降らず、福島方面に向けて、元気に出発です。

実行委員がスムーズな司会で出発式を行いました。

話を聞く児童の姿勢もとても立派でした。

見送りに来てくださった保護者に挨拶をし、バスに乗り込みました。

 

 

これから有意義な2日間のはじまりになります。

写真で振りかえる西方小学校 NO.26

 西方小学校明治6年から149年間の歴史の中で、現在の校長先生は45代目です。今回は校長先生の在任期間を調べてみました。一番長く勤められた校長先生は明治34年から大正7年までの約17年間でした。二番目の校長先生は12年間、三番目の校長先生は9年間勤められました。この3名の校長先生はすべて戦前に在職された方です。戦後だと昭和36年度から昭和43年度の8年間でした。一番短い在任期間の校長先生は一か月でした。

 西方小学校PTA昭和23年から74年間の歴史の中で、現在の会長さんは33代目です。PTA会長さんの在任期間を調べてみました。一番長く務められた会長さんは平成23年度から平成27年度までの5年間でした。4年間務められた方は6名いらっしゃいました。一番短い在任期間の会長さんは2年間でした。

  

 

避難訓練がありました

 本日、避難訓練がありました。本日の訓練は竜巻がせまってきた場合を想定してものでした。初めに各学級で竜巻の恐ろしさや避難方法を学びました。実際にどこに避難するのか、動きながら安全な場所をみつけている児童もいました。次に、避難放送を行い、素早く避難行動をして、頭を守る動作を行いました。校長先生から校内放送で、自然災害から命を守ることのお話がありました。最後に各学級で避難訓練のふり返りを行いました。

  

竜巻に関する学習の様子です。竜巻の恐ろしさを学んで、どう避難行動をとるのか考えました。

 

できるだけ窓から離れた場所に移動し、頭を守る行動をとりました。

写真で振りかえる西方小学校 NO.25

 西方小学校では毎年学校要覧を作成し、学校の現況が分かるように教育委員会に報告しています。その学校要覧の綴りが昭和19年度からの分が保存されていました。昭和40年台までは、ガリ版印刷と思われるとても薄い紙になっていました。昭和50年台に入りコピーされたものと思われる西洋紙の紙になりましたが手書きでした。平成に入った頃からワープロで作成されたものになりました。今回はこの学校要覧を紐とき、西方小学校の児童数の推移を調べてみました。

   

 

 ※1945年のデータは西方村国民学校の時のもので、この数値は6年生までの児童数です。高等科1・2年生を入れると1505名でした。  

 西方小学校の児童数は戦後75年間で減少しています。しかし栃木県や全国の児童数の推移を調べてみても、やはり減少し続けているので、仕方ないところがあります。それにしても西方小学校の校舎で1252人(学童疎開で来ていた児童は数値に含まれていない可能性が高いので、実際は1300人以上)の児童がどうやって教室で学習していたのか想像がつきません。

 

第3回学力向上コーディネーターを迎え、研修を行いました

15:00から16:30まで研修がありました。

はじめにコーディネーターの先生から説明があり、その後国語・算数・理科・学校、家庭での生活に関して具体的な取組について4つのグループで話し合いました。

各班で活発な話合いができたので、明日からの授業等に反映していきたいと思います。

  

  

写真で振りかえる西方小学校 NO.24

  昭和48年の西方小学校校旗樹立式の冊子が見つかりました。今回はこの冊子を写真で紹介いたします。この冊子から制定費は24万円であることがわかりました。24万円は、当時行っていたいちご摘みで得た資金と村の補助金と寄附金でまかなわれたことがわかります。

     

写真で振りかえる西方小学校 NO.23

 西方小学校の現在の校舎が落成された昭和52年当時の冊子が見つかりました。この冊子を写真で紹介いたします。校舎平面図から1階に4普通教室、2階に8普通教室がありました。図書室は3階の現在は会議室になっている場所にありました。その近くにはトイレが描かれていますが、現在は存在しないので設計変更になったと思われます。平成23年に共同調理場ができるまで、学校給食は西方町3校でそれぞれ調理して提供されていたので、西方小学校だけの給食をつくる給食室がありました。

  

  

 給食をリフトで2階にあげる部屋(表示は給食室)  共同調理場への連絡口です(1階東側)

 

道徳の研修を行いました

 5校時に4年生で道徳の授業を行いました。

 白鷗大学の先生を授業者に迎え、「雨のバスていりゅう所で」について皆で考えました。

 いつもとは違う先生の授業でしたが、子どもたちはとても真剣に考え、自分の言葉で意見を発表していました。

 身近な題材をもとに考えることで、自分事として授業に取り組む姿勢が見られました。

 また、今回は真名子小学校の先生方4名も参加してくださいました。

  

 

 授業後には、研究会を行いました。

 参観した先生方が3つの班に分かれ、授業の進め方、子どもとの関わり方、資料の読み込みと発問など、多面的に協議することができました。

 

 

 先生方が日頃の道徳の授業をする際に悩んでいることなど講師の先生に積極的に質問するなど、とても有意義な時間となりました。

 今後の授業に大いに参考になる示唆を与えていただくことができました。

国体に向けて

今月の環境委員会活動では、来月の国民体育大会(国体)に向けて

マリーゴールド・ペチュニアを植えました。

 

ガーデンピックへのメッセージを書き、

花いっぱいの国体となるよう、プランターでの栽培をしていきます。

3年校外学習~警察署・山車会館・つぶらぶどう園~

 本日、3年生で校外学習に行きました。

 

 栃木警察署では、講話を聞いて気になったことを質問したり、実際に携帯している物に触らせていただいたりしました。

 初めて見るものや知ることが多く、子どもたちも興味津々で、メモを取っている姿が見られました!

 

  

 

 山車会館では、案内をしていただきながら山車の歴史を辿り、実際の山車を前にして、大きさや迫力に圧倒されている様子でした。

  

 

 つぶらぶどう園では、ぶどう園の方から大平ぶどう団地の歴史やぶどうの育ち方を聞いて、積極的に質問をしていました!ぶどう狩りの際、楽しそうにぶどうを選んでいた子どもたちの笑顔が印象に残っています。

 

 

 栃木市の中心部を歩きながら蔵を間近で見たり、ぶどう狩りに行く道で見た大平ぶどう団地の様子を観察したり、子どもたちにとって充実した校外学習になったと思います。

写真で振りかえる昔の西方小学校 NO.22

  今回も前号に引き続いて、明治17年建築の旧校舎の特集です。旧校舎の図面が見つかりました。立面図・1階平面図・2回平面図を「西方小学校調査報告書」より転載していきます。

     

  2階に7普通教室。1階は特別教室・校長室・教員室

 

写真で振りかえる昔の西方小学校 NO.21

   今回からは西方小学校150年の歴史の中で、約90年以上学びの舎として活躍した旧校舎についてご紹介いたします。旧校舎は明治17年に新築され、昭和51年に役目を終えました。この旧校舎のことがわかる資料が「西方小学校調査報告書」(栃木県建築士会青年部会・昭和53年7月)です。この冊子から何枚か写真を転載して旧校舎の様子を紹介いたします。今回は旧校舎の建築様式です。

    

   

  いたるところに西洋建築の要素が取り入れられていました。

 

算数を楽しもう

学活での活動後、残りの時間で、

算数に関する問題をいくつか出題しました。

できそうで意外と難しい問題で四苦八苦しつつも

時には友達と協力しながら答えまでたどり着くことができました。

   

これからも最後まであきらめずに取り組む姿勢を大切にしていきたいと思います。

2年生の日常

2学期がはじまり数日経ちました。

子どもたちは夏休みについて、

 

「交流しながらビンゴを目指したり、新しい教科書やドリルに興味をもっていたり

生活に勉強に、とても意欲的に取り組んでいました。

また、今週の国語では「言葉で道案内」の学習をしました。

相手に伝わるためにはどんなことをどのように話すとよいのか、考えました。

やりとりの中で、案内するときには

・曲がる場所や方角、回数

・目印になるもの

などをはっきりと伝えることが大切だと気付いていました。

写真で振りかえる昔の西方小学校 NO.20

 昭和19年から20年にかけて、西方にもたくさんの学童疎開の子どもが牛込区(現在の新宿区)立余丁町国民学校から来ました。実相寺・福正寺・甘露寺に60人以上宿泊していました。昼間は西方村国民学校で西方の児童と共に学習(集団訓練・勤労奉仕)していました。当時の6年児童数は卒業生名簿から調べると、昭和20年度で約170名です。そこに学童疎開の児童が加わると1学年で200人程度いたと考えられます。

 昭和21年度までの名簿が納められています。(校長室)

 実相寺の疎開児童とお手伝いの集合写真 西方町史から転載

 

 

 

写真で振りかえる昔の西方小学校 NO.19

 西方小学校は昭和16年に西方村国民学校と名称を変えました。戦時皇国民の錬成ということが目的でしたが、義務教育が8年に延びました。栃木県の文書館の資料から国民学校の始まりを紹介します。

     

 最初の写真は国民学校に名称を変更せよという栃木県からの通達です。この頃は教育委員会制度はなかったので栃木県学務部から出されています。2枚目はこの通達を受けて、西方村役場が名称変更を願い出たものです。(昭和16年4月)

   

 西方村国民学校の名称が実際に使われていたことが分かります。この文書は西方村青年団の体育運動会を昭和17年9月27日に西方村国民学校の校庭で行う旨が書かれた通知です。昭和17年の段階では体育運動会が開催できていたことが分かります。この次№20では国民学校の時代の学童疎開について紹介する予定です。

 

 

2学期が始まりました

子どもたちの元気な声が、学校に戻ってきました。

いよいよ今日から2学期が始まります。

2学期は各学年とも、たくさんの行事があります。目標をもち、計画的に生活を送ってもらいたいと思います。

始業式では、4名の児童が目標をしっかりと発表しました。

また、校長先生から防災の日に関連し、日頃から備えることの大切さについてお話がありました。