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学校ニュース
自由研究その9(特色ある活動「愛鳥活動」について)
学校の近くを流れる赤津川流域には、たくさんの種類の鳥が多く見られ、バードウォッチングにはよいスポットとなっています
。本校では、全校児童で「愛鳥活動」を実施しており、観察しやすい冬場に野鳥観察をしています
。5・6年生にもなると、野鳥の種類にも詳しくなり、双眼鏡で覗きながら「サギがいた」、「キジだ」、「カワセミだ」など、素早く見つけて報告しています
。では、いつ頃から始まったのか気になり、調べてみました
。
【玄関にある野鳥の木札(裏には野鳥の名前が書いてあります)】
【今も残る巣箱(あかづの丘の木に設置されています)】
平成6年には「愛鳥モデル校」としての取組が開始され、平成7年に「愛鳥モデル校」として2年間県から指定を受けています。当時の記録を見ると、野鳥観察以外にも清掃活動、巣箱の作成・設置、愛鳥カルタ大会などを実施していたようです。驚いたのは、野鳥のえさづくりとしてトウモロコシやあわなどを育てる活動計画も残っています。
【認定証】
【平成6年度実施計画より】
平成16年には、各学年の愛鳥活動が開始され、現在に至っています。20年以上続く伝統的な活動をなっています。
【クリーン活動と愛鳥活動(創立40周年記念紙より)】
平成21年に「栃木県自然保護奨励賞」を受賞しています。
【栃木県自然奨励賞と記念品】
今後も「愛鳥活動」を通して、赤津地区の豊かな自然を大切にする心、生命の尊さを学んでいきたいと思います
。
【令和6年度 愛鳥活動の様子】
自由研究その8(「あかづの丘」・「ともだちランド」・「ビオトープ」について)
今日は「あかづの丘」と「ともだちランド(飼育舎)」、「ビオトープ」について紹介します
。
「あかづの丘」は校庭の西側にある小さい山です。「あかづの丘」は開校時に作られたもので、たくさんの木があり、夏場には木陰で涼しい場所となっています。学校にある木は新たに植樹された木だけでなく、旧富張小、旧木村小、旧大柿小から移転された木もあるようです(昭和55年学校沿革史より)
。
【あかづの丘と遊ぶ子供たち】
【植樹の様子(創立40周年記念紙より)】
「ともだちランド(飼育舎)」は平成21年12月、創立30周年に新設されました。開校当時は「小鳥小屋」が西門付近にあったようです。平成3年10月には今の「赤津農園」の付近に「小鳥・動物小屋」が作られ、平成11年8月に創立20周年創立記念事業として同じ場所に「なかよしランド」を新設したようです。今の「ともだちランド」は学校の西門付近にあり、現在5羽のうさぎが飼育されています
。
【今のともだちランドとうさぎ:夏のため葦簀をかけています】
【新設当時のともだちランドとうさぎ(創立30周年記念誌より)】
【なかよしランド建設の様子(創立20周年記念誌より)】
「ビオトープ」は令和2年12月に新設されました。今もメダカが元気に泳いでいて、子供たちが水辺の生き物を観察するためのよい学習の場となっています。開校当時は西門付近に池があったようで、平成21年の「ともだちランド」の新設に伴い池はなくなっていました
。
【ビオトープとめだか】
自由研究その7(「学校の遊具」について)
学校にある遊具にも歴史があります
。開校時の遊具は、すべり台、ブランコ、つり輪、はんとう棒、ジャングルジム、メリーゴーランド、回転シーソー、鉄棒などがあったようです(「昭和57年度学校概要」より)
。現在の遊具は、すべり台、ブランコ、はんとう棒(のぼり棒)、ジャングルジム、鉄棒、うんてい、ハングリングタワーとなっています
。遊具も老朽化等で撤去されたり、修繕・新設されたりしています
。校庭の遊具は、今も休み時間や体育の体力づくりに子供たちが楽しく活用しています
。(修繕・新設の記録は、学校沿革史等の記録をもとに記載しています。)
【昭和57年の学校f略図】
【現在の学校略図】
【現在の遊具】
(すべり台)平成5年11月に修繕しています。
(ブランコ)平成22年2月に修繕しています。
(はんとう棒)開校当時のものは撤去され、平成18年11月に新設されています。
(ジャングルジム)開校当時のもは撤去され、平成20年10月に新設されています。
(鉄棒)平成19年3月に修繕されています。昔は「高鉄棒」もあったようです。
(うんてい)平成10年3月に「平成9年度卒業記念品」として新設されています。
(ハングリングタワー)平成19年8月に新設されています。
遊具が卒業記念品として学校に贈られているのには驚きました
!
自由研究その6(不思議な石畳)
校庭の西側の花壇には不思議な石畳があります
。何のために作られたのか不思議に感じ、調べてみました
。昭和57年度の「学校概要」に掲載された学校略図で確認すると、「石踏み街道」というそうで、昭和56年4月25日に完成したとの記録が残っています
。その後、昭和57年5月27日には「砂踏み街道(現在は残っていません)」、同年8月6日には「竹踏み街道(現在は残っていません)」、も作られたようです
。これは、『はだしの教育」の一環として作成されたようで、当時テレビ局が取材に訪れたようです
。昇降口にある「足洗い場」も当時に設置されました
。調べてみると、学校にある設備には、現在は使われていなくても、それぞれ目的があって作られたものが残っていることが分かります
。おもしろいですね
!
【石踏み街道】
【足洗い場】
【昭和57年度学校略図】
自由研究その5(たくさんある記念碑)
学校には「開校記念碑」をはじめ、たくさんの記念碑があります
。
(開校記念碑)校舎東側の花壇にあります。昭和55年4月8日建立
(卒業記念碑)第4回卒業生による記念碑です。山本有三先生の「路傍の石」の一節を石碑にしています。
(卒業記念碑)第5回卒業生による日時計です。学校の位置(東経:139°43 30 北緯:36°26 19 海抜:69.5m)も記されています。
(学校で一番古い記念碑)体育館の入口にある二宮金次郎像です。台座には「至誠報徳」が刻まれています。後ろ側に「昭和14年5月20日」とあり、赤津小学校の前の「赤津尋常高等小学校」の頃に建立されたものを思われます。
学校の石碑には、それぞれの歴史がありますね
。